【とつとつメモ】10~『愛のレッスン』千秋楽終了

Posted by on 2月 1, 2015 in Staff Blog, とつとつダンス part.2 愛のレッスン | 【とつとつメモ】10~『愛のレッスン』千秋楽終了 はコメントを受け付けていません。

【とつとつメモ】10~『愛のレッスン』千秋楽終了

【とつとつメモ】10~千秋楽終了:不在によって支えられる世界


舞鶴、大阪、東京と素晴らしいダンスを見せてくれた岡田邦子さんが、最後になる1月24日(土)、25日(日)の「とつとつダンスpart2 愛のレッスン」仙台公演に体調不良のため出演できませんでした。岡田さん自身は出演する気でいっぱいでいてくれたのですが、彼女の身体のことを考えるとやはり出演を断念してもらうという決断をとらざるを得ませんでした。岡田さんは現在インフルエンザからは回復しましたが、食欲が戻らずまだまだ元気いっぱいという感じではありません。無理をしなくてよかったとほっとしている次第です。

そして、とつとつダンスにおける「岡田さんの不在」について、公演中止も含めて、スタッフで議論を重ねた結果、1月24日(土)、25日(日)の仙台公演を予定通り行いました。「岡田さんの不在」について考えること。それは「とつとつダンス」が大事にしてきた「不在」そのものに向き合うということでした。


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公演前日の金曜、僕は、西川さんと仙台公演の会場であるメディアテークから二人で買い出しのためにバスに乗り込みました。お客さんはあまりいなくて、外の寒さとの温度差で車内はむっとしていました。西川さんと僕は仙台市内の風景の中で「不在」について語り続けていました。

『とつとつダンスpart2 愛のレッスン』は「できること」の差をくらべ合う、燃え上がるようないわゆるダンスの公演ではありません。社会の中でともすれば見失いがちな、「できない」とか「みえない」というかたちでしか顕在化しない繊細な動きを「ダンス」によって浮かび上がらせ、思考の俎上にのせることです。

たとえば、岡田さんは20代のころから車椅子での生活を余儀なくされています。一般的な意味では運動能力に欠けているのかもしれません。事実、岡田さんの動きは「できること」の差を競い合う現代社会において「欠損=障がい」とされている。でも、岡田さんの動きは実は常に「できない」「みえない」というかたちで世界に在り続けています。

西川さんによると、小さな子供は一人にされると割れんばかりに泣き続けます。それは「親の不在」がそのまま親の消失だからです。でも、そのうちに親が帰ってくることを知ります。自分の前にいなくても親が生きていることがわかるようになります。「不在の他者」を信頼できるようになる。「不在の他者」とつながっていることがわかり、一人でどこまででも旅をし、生きていくことができるようになります。「いないのにいる」事実が人を支えます。

「不在の他者」の最たるモノは「死者」です。もし相手が死んでいたとしてもつながっていることが分かれば、世界は限りなく広くなり、誰ともつながっていない「よるべなさ」を感じることなく独りで歩いていくことができます。

世界がほんとうは「できない」「みえない」とされている「不在の存在」によって支えられているということ。誰にも頼っていない、自分一人で生きていると思っている人だって<いま・ここ>に存在していないのに関わらず「ある」という事実に支えられている。「不在という存在」は世界をひっそりと、だけど確実に成立させているのです。

「とつとつダンス」(そしてその母体である「シリーズとつとつ」)ではともすれば見失ってしまうこのかすかな「不在」の動きを捉えようとしてきました。現代社会において「動いていないとされている動き」「起こってないとされている出来事」を丁寧に丁寧に注意深く紡ぐこと。とつとつダンスは「不在」と踊り、見えにくいけど世界を支える多様で豊潤な世界を浮かび上がらせようとするダンスです。

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アフタートークで鷲田清一さんが、東北の震災後の話や自死遺族の会の話など、この世を去った人々への思いを馳せ、寄り添うことの意味を話してくれました。死者はこの世にいません。でも、不在という存在としてこの世を支えています。昔読んだSFにアカシックレコードという話しがありました。これは簡単にいうと「魂の記録」だそうです。これまでの、そしてこれからの世の中に生まれるすべての魂の詳細が記されている。

もちろんこれはフィクッションですが、人は亡くなっても世の中から消失、欠損するわけではありません。「かつていた」というかたちで確実に世界に在り続けます。死者を呼び起こすのはたとえば思い出の品だったりするかもしれません。そして鷲田さんがいうように、死者はだんだん語り継がれる内に固有名詞を失い、「祖先」になったり「震災における死者」になったりするのでしょう。もしかしたら幽霊や妖怪になったりするのも知れません。

ダンサーとは、というより踊り手とは、恐らく本来、死者をはじめとする「不在の存在」をダンスによって呼び起こす、霊媒的な役割だったのではないでしょうか?だからこそ「不在の存在」にアクセスしようとする「とつとつダンス」はあくまで「ダンス」だったのでしょうし、舞台作品になったのはそのための儀礼的な空間が必要だったからではないでしょうか。後付けですが、そう思うのです。現代社会において舞台というかたちにこだわる意味は間違いなくあるように思えました。

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用事をすませてメディアテークに帰り、僕と西川さんはようやく形になりつつある砂連尾さんのダンスをみました。そこにはこれまでの『愛のレッスン』と変らずに「不在」のほのかな動きが立ち現われていました。本番も、岡田さんが「あたかもいるようにみえる」のではなく、「不在のままで」とつとつダンスに参加している様子が立ちあがっていました。岡田さんだけの不在ではなく、今の世に「できない」「みえない」とされている「不在の存在」--たとえば「障がい」とか「認知症」とか、もっといえば「老いていくこと」なのかもしれません――も漂っていました。

仙台の公演は、舞鶴、大阪、東京を岡田さんと共に歩いてきたからできた見事なまでの「シリーズとつとつ」中間発表でした。舞鶴公演、全国巡回公演を終えて、「シリーズとつとつ」の道程が明確に整理されたように思います。これからもとつとつと僕たちはとつとつダンスを踊り続けるのでしょう。

そして、砂連尾さんとも話しましたがまた4年後くらいにとつとつダンスpart3ができたら、もっと素敵なことがみえてくるかもしれません。僕はその日をもう楽しみにしているのです。

25日トークゲスト鷲田清一先生と西川勝さん

25日トークゲスト鷲田清一先生(哲学者)と西川勝さん

24日トークゲスト 濱口竜介さん(映画監督)

24日トークゲスト 濱口竜介さん(映画監督)

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torindo 豊平 2015.2.1

 

 

 

 

 

 

 

 

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